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400戦無敗のマーケティング

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『400戦無敗のマーケティング』
【bot_vol.5】

http://www.bjjfj.com/bjjfj/jjh.html

格闘技に興味のない人にとってはまったく面白くない号

胴長短足ガッチリ型なビジュアルである私は、

初めてお会いした人から、

28%くらいの確率で、

「柔道かラグビーをされてたんですか?」

と聞かれます。

答えはほぼYES。

推察の通りそのカテゴリーに属しています(笑)

小学生の時からずっと柔道をやっていたのですが、

25歳の時からは、

“ブラジリアン柔術”という格闘技に移行しました。

なんだそのブラジリアン柔術って?

という方も、

“グレイシー柔術”というとお分かりになるかも知れません。

グレイシー柔術とは

20世紀の初頭、

日本の講道館柔道が世界に柔道を広めるため、

世界の各地に屈強な柔道家を派遣し、普及活動をおこなった。

その中の一人、

前田光世(コンデコマ)がブラジルのグレイシーという姓を持つ、

一族に伝えた柔道が、

そのグレイシー家によって、

より身体の小さい者、力の弱いものでも有利に闘うことができるよう、

投げ技より寝技に重点を置き、発展していった格闘技の一種。

つまり、ゴロゴロと寝っころがって、

相手の首を絞めたり、相手の腕・足の関節を極めて(逆に曲げたりして)、

優劣を決するという、

非常に特異でにわかには信じ難い格闘技なのです(笑)

マイナーからメジャーへ

そのグレイシー柔術は、

1993年まで全くといってよいほど、

世界的には知られることのない存在でした。

それが93年を境に、

世界の格闘技界の台風の目となり、

90年代後半まで格闘技界はグレイシーを中心にまわっていた、

といっても過言ではないほどの存在となりました。

どうして、ブラジルのマイナー格闘技に過ぎなかったグレイシー柔術が、

世界の格闘技界を席捲するメジャーな存在に成り得たか?

グレイシー柔術のすぐれたマーケティング、プレゼンテーションは、

これから世界市場でビジネスを展開させようとする方々の、

とてもよい参考になるかと思いますので、

ご紹介させていただきます!

グレイシー柔術のプレゼンテーション

1)1993年11月、アメリカのコロラド州デンバーにて、

突如として、

『第1回 アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ』(UFC)

という格闘技大会が開催され、

グレイシー一族も1人の選手を出場させた。

☆ ☆ ☆

2)UFCのルールは従来のボクシング、空手、柔道、相撲などの競技とは異なり、

バーリトゥード(ポルトガル語で「何でもあり」)と呼ばれる、

相手を殴っても、蹴っても、投げても、首を絞めても、なにやっても良いという、

意外にも、

それまで誰も考え付かなかったような、

ある種、究極ともいえるルールにて行なわれた。

☆ ☆ ☆

3)実はそのバーリトゥード(何でもあり)こそ、

グレイシー一族な何十年にも渡って、

柔術を発展させるために取り組んでいた、

得意中の得意といっていいルールであった。

(≒総合格闘技)

☆ ☆ ☆

4)グレイシー以外の参加者は、屈強なプロレスラー、空手家、柔道家、

そして街の喧嘩家然とした男などいずれも、

見た目にも「強さ」がビンビンと伝わってくる猛者ばかり。

☆ ☆ ☆

5)一方グレイシー柔術側の代表は、

ホイス・グレイシーという柔道着を着た痩せっぽっちの若者。

☆ ☆ ☆

6)大方の予想を裏切り、その大会を制したのは、

そのホイス・グレイシーだった。

タックルで相手を倒し、背後にまわり、後ろから首を絞め、

すべての対戦相手をギブアップさせ、

ホイス・グレイシーは全くの無傷で優勝した。

☆ ☆ ☆

7)実は、その大会(UFC)を企画したのは、

そのグレイシー一族の長男であるホリオン・グレイシー。

つまり、この大会自体がグレイシー柔術の優位性を世の中に広めるための、

プレゼンテーション的な大会であったのだった。

これにより、

グレイシー柔術は、

世界の格闘技から一躍注目される存在となり、

急速な勢いで世界各地へ広がっていきました。

・ファイトマネー
・道場運営収入
・教則本、DVD販売収入
・その他グッズ販売収入

これらもその広がりに合わせ拡大していきました。

いや~、すごいですねぇ。

自分達が勝てるルールを提示して、

圧倒的な差をつけて勝つ。

相手の土俵で闘わず、

自分の土俵を用意してしまうというところがミソですね。

この話にはさらに続きがあります。

私の兄は私の10倍強い

第2回大会も同じく楽々と優勝したホイス・グレイシーに、

大会後インタビューがおこなわれました。

「ホイスさん、あなたは本当に強いですね。

世界中であなたに勝てる人なんているのでしょうか?」

「なにを言ってるんですか。僕なんでまだまだ弱いですよ。

私の兄は私より10倍強いですよ」とホイス。

世界中の格闘技界が、

「ホイスの兄って一体何者だ?」と騒然としたのは言うまでもありません。

ご想像の通り、

その10倍強い兄とは、

『ヒクソン・グレイシー』のことだったのです。

その後、ヒクソン・グレイシーは、

「400戦無敗」

というこれまたとても秀逸なキャッチフレーズを引っさげて来日し、

日本の格闘技界を席捲しました。

ちなみに、

そこでもグレイシー側がその大会のルール決定に際して、

強いイニシアティブをとっていたと言われています。

以降、高田延彦、船木誠勝という日本を代表する格闘家をそれぞれ、

ギブアップ、チョークによる失神KOで退け、

グレイシーの名を不動のものにしました。

まとめ

1)自分の得意とするルールで闘った

2)奥行きを見せた

3)知財を守った
※グレイシー柔術は登録商標であるため、
他のアカデミー(道場)、大会は、
グレイシーを名乗れず、「ブラジリアン柔術」と呼称している。

4)強気の交渉に徹した
※ギャラ(ファイトマネー)もうなぎ上りだったという噂です。

5)負けそうな相手とは闘わない(笑)
※2000年以降、ヒクソン以外のグレイシーは総合格闘技の成熟化とともに、
なかなか勝てなくなりました。
ヒクソンはその後、誰とも闘うことなく引退。
「無敗」のイメージを守り通した。

☆ ☆ ☆

グレイシー一族は90年代初頭、

ブラジルからアメリカのロサンゼルスへ大勢移住し、

カリフォルニアでハリウッドスターや医者、弁護士など社会的ステイタスが高い層に対し、

護身術的側面から柔術を指導したことにより、

●グレイシー柔術=セレブな護身術

というイメージ付けにも成功しており、

なにからなにまでホントに見事な展開です。

ちなみに私も親父狩り(死語?)に遭遇しても、

逆に若者をぶちのめせるように日々頑張って練習しています(笑)

皆さんも、一緒にゴロゴロと柔術やりませんか?w

このグレイシー柔術のマーケティングから、

なにか参考になることがございましたら幸いです!

おまけの話

グレイシー柔術は上記のようなマーケティングでしたが、

●極真空手=空手バカ一代

●K-1=芸能人が見に来る的イメージづくり(F1っぽさ)

●PRIDE=従来からのプロレスファンの取り込み

メジャーになった競技・興行には、

いずれも優れた戦略があります。

実は書いている途中に気付いていたのですが、

今回の話にはインターネットがまったく絡んでいませんでしたね(笑)

次回はまた、

インターネットを活用した海外ビジネスという視点からお送りします。

以上、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

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